頑固な父と人づきあいのよい母、ふたりのいいとこ取りをして育った一人っ子です。

 
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=く~ちゃんの場合=

く~ちゃんのプロフィール
1984年、愛媛県生まれ。一人っ子。大学受験を機に神戸に出てくるまでは、一人暮らしをしたことがない。大学生になって、大学の学生会館でブルーグラスのクラブの演奏を耳にし、バンジョーの音色にとりつかれる。以来、バンジョー奏者としてライブ活動に励む。仕事は、フィナンシャルプランナー。

Q:ご両親は何年生まれ?
・父は、1947年。母は1952年です。

Q:おふたりの馴れ初めはご存知ですか?
・お見合いでした。父は幾回かお見合いをしていたようですが、なかなかうまくいかなかったところで、母と出会ったようです。
・母がいうには、「私がこの人を支えてあげなければ」と思ったらしいです。父は何となく頼りなく、九州男児と正反対の印象の人だったとか。それに、まめに連絡をしてくれたりしたのが、決定打になったようです。

Q:では、仲のいいご夫婦だったのですね。
・それが、そういうわけでもなく、私が生まれるまでにゴタゴタがあって、別れ話もあったと聞きます。結婚後、7年目にようやく私が生まれて落ち着いたようです。それでも、祖母については、いっぱいいろんなことがあって

Q:おばあさんはご健在?
・5年ほど前、92歳でなくなりました。祖母はちょっと変わった人だったんですよね。小学校3年の時、フェルトを使った小物を作ってプレゼントをしたことがあるのですが。「こんなもん、いらん」ってつき返されてしまいました。ショックでしたね。部屋に戻った後の私の態度があまりにもおかしいので、母がその辺の事情を確かめて父に相談したら、父が祖母に「孫が作ったものに、ありがとうと言えんのか」と、激怒したこともありました。

Q:お母さんは、専業主婦だったの?
・お見合いをした頃は、洋裁の先生をしていたようです。でも、基本的に家庭に入りたいひとだったので、結婚後は家での生活の空いた時間にパートをするといった感じでした。祖母が夕食は必ず家で食べることが決まりだったので、夕方には絶対に家に帰っていないといけませんでしたし。今は介護関係の仕事をしています。

Q:では、小さい頃の家族との想い出は?
・小学校6年生のクリスマスの時、学校を休んで北海道へ家族旅行をしました。愛媛では雪が降らないので、すごく想い出に残っています。

Q:ご両親のどちらに似ていますか?
・頑固なところは父から。人と上手に関われるところは母から。いいとこ取りをしていると思っています。
・ただ、母の人あしらいの上手さは基本的に対父なので、父と対極にあるような男の人、例えば2枚目タイプでナンパな感じの人は苦手です(笑い)

Q:お父さんとお母さんと気持ち的にはどちらに近いですか?
・両親を尊敬しています。でも、父と一緒にいると、イラッとなって、ついハイ、ハイという受け答えになってしまいます。だから昼間、ポツポツと必要なことしか話さないですね。母となら、何でも話せます。実家に帰ったりすると、夜の11時から12時過ぎまで話し込んでしまいます。

Q:ご両親の子育ては、成功していると思いますか?
・100点満点で80点くらい。「優」をつけてもいいけど、高校時代は反抗して父にクソじじいといって本気で怒られたこともありました。それでも、私のことを長い目で見てくれたというか、何をしても信じてくれていることがありがたいです。
・ただ、一人っ子なので、かしずかれて育てられたというか、とにかく親を独占していた。そのため、与えられてあたりまえで、分けるという概念がなかった。父と兄妹みたいに果物を取り合ったりすることはありましたが。それが、大学に来て初めて先輩が先に箸をつけるというのをみて、新鮮な驚きでした。

Q:ところで、家を離れて神戸に出ることに反対は?
・放任主義というのか、大学も自分で決めました。父は若い頃、東京に出たいという願望があったけれども、それが実現しなかったのがとてもくやしかったようで…。結局は「好きなようにしたらよい」ということになったんです。

Q:大学の学費や下宿など、生活費はどうしたの?
・学費と下宿代は家から振り込んでもらっていました。それとは別に生活費も月に5万円もらっていました。大学4年間で1千万円以上は遣わせたことになりますね。
・父から、「20歳(成人)以降の分については返すように」といわれています。父は、お金には厳しい人だから、そろそろ返済計画をたてなければと思っています。
・ひとつびっくりした話があるのですが、私が大学卒業をする2ヶ月前、父は「今日、辞表を出してきたから」と唐突に母に言ったそうです。私がもし卒業できていなかったらどうするつもりだったんでしょう。でも今は早期定年を選択して、地域のコミュニティ活動と野菜づくりをして毎日充実しているようなので、それはそれで良かったかな、と思っています。

Q:定年後のお父さんの暮らし方をどう思う?
・ほんと、節約生活らしいですよ。2人だとおかず2品ぐらいで、野菜は自給自足。それでも、そんな生活もいいなって思います。お互い好きなことをしていて。
・父と母の世代は、苦労してお金を勝ち取ってきた、そういう前提がある上での「裕福な」世代だと思うんですよね。大学生の頃まで、お金は勝ち取るのではなく、あるものだと思っていたけど、それは大きな間違いだったと今は実感しています。でも私に苦労をさせないようにと大切に育ててくれた両親にはとても感謝しています。

Q:くーちゃんの家族のキャッチフレーズは?
ですかね

Q:ところで、結婚は、子育ては?
・最近、彼氏ができました。お母さんは「くーちゃんが選んだ人ならいいやん」って。父も「音楽ができる人なら、セッションができるからいい」といってくれています。
・昔は、子どもは絶対いらないと思っていました。お金がかかるし、何より出産はしんどいから。しかし今は、親孝行のうちであるし、子どもに育てられる部分もあるだろうと考え方も変わりました。将来は親が子どものことを全力でみてあげられる家庭を作りたいと思っています。

Q:ところで、もしお父さんお母さんに介護が必要になったら?
・私がいなかったら、誰もいない。最期の面倒は、出来る限り私がみてあげたいです。

Q:最後に、次にご両親と会うのはいつですか?
・11月に彼と一緒に愛媛で開催されるイベントに行く予定なので、そこに彼らも呼ぼうかと思っています。

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 ◎インタビューを終えて
・団塊ジュニアは、一人っ子時代の先鞭でもあります。そのひとりであるくーちゃんは、両親の庇護のもとで育ち、素直で利発なお嬢さんです。彼女の話を聞けば聞くほど、不器用で頑固ではあるけれど、しっかりとした人生観をもった父親の偉大さがみえてきます。
団塊世代もなかなかのものではないかと、拍手をしたくなったインタビュ-でした。

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