長崎、初めて訪れる。叔父・三郎が私の生まれる2年目、ここで被爆、死亡した。長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れ記録を見せてもらう。PCのディスプレーに映し出されたのは、「学生帽をかぶった写真」と「被爆時年齢:19歳、被爆時住所:長崎市、被爆場所:長崎市坂本町・長崎医科大学、被爆時職種:生徒・学生/長崎医科大学、昭和20年8月9日 長崎医大教授(梅田)講義中に被爆。一時裏山に避難するが、医大病院内で8月11日~14日の間に死亡」。 生まれ育った満州・大連から長崎医科大学への内地留学中に惨事に遭遇、家族に看取られること無くさびしく死んだ。
「母さん、水を下さい」が最後の言葉だったと誰から聞いたのか、末っ子を亡くした祖母が話していた。子供のころ、祖母が私のことを「三郎さん!」と間違えて呼ぶのも悲しかった。 初めて長崎を訪れ、ディスプレー上の三郎叔父と対面したことで、
済まさなければならないことの一つが出来た、と少し晴れ晴れしい気分になる。
長崎のお決まりコース―平和祈念像、浦上天主堂、グラバー園、大浦天主堂を回り100Km離れた今夜の宿泊地・平戸を目指す。
平戸は気持ちのいい街だ。日暮れまで時間があったので自転車で市内を回る。何にもないオランダ商人館跡(”跡”だから当たり前!)に少々失望するが、ゴシック様式の聖フランシスコ・ザビエル記念教会、キリシタン色を払しょくするために数多く建てられた多くの寺院、平戸城、それぞれが違和感なく調和している。見知らぬおじさんに挨拶してくれる中学生、時を刻む寺の鐘、来てよかった!
(3.13 記)
千葉県柏市在住 河内のオッサン