前夜、大学のゼミの同窓・T君が、シーズン初戦を勝利したアビスパ福岡応援の興
奮冷めやらぬままホテルへ駆けつけてくれ、夕食を共にした。T君と顔を合わせるのは、教室は稀で、グラウンドの隅の彼が属していた剣道場のあたりか、雀荘であった。 卒業後20数年ぶりに再会したのがオーストラリアのメルボルンで、彼が商社のパース駐在、私がメルボルンの時である。海外駐在員の世界は狭く、ちょっとした都市には大学の同窓会があり、人の消息がすぐに分かる。銀座や心斎橋を歩いても、めったに人に会わないが、海外で再会する確率は非常に高い。Good Day Mate! (発音=グッダイ・マイト!)で再会を祝し、おいしい酒を飲むことが出来た。「運転する車が赤カンガルーをはね、車も動かなくなった」、「ハイウェイの街路樹に野生のコアラを見つけた」、「カカドウ国立公園のアウトバックはすごかった」、「露天掘りの鉱山で200tonトラックに乗せてもらった」、「マーガレット・リバーのワインにタスマニアのカキ、ウニが最高だった」、、、、、、、、、、、あっという間に博多の夜が過ぎていった。 東京での再会を約し、お開きとする。
朝、「今日、関門海峡を越える」の予定で出発。道を行く車に「筑豊」ナンバーが
多い。これだ! 「炭鉱」だ! 「火野葦平」だ! 「青春の門」だ! 「青春の門」の関根恵子がすごかった! で、博多から、飯塚-直方と遠賀川を下る。 街道沿いの幸袋で「旧伊藤伝右衛門邸」の案内を見つけ見学する。伊藤は後に衆議院議員まで勤める筑豊の炭鉱成金で、この地に豪壮な邸宅を構える。52歳で伯爵令嬢にして歌人・27歳の柳原?子(白蓮)と結婚する。?子(白蓮)は最初の結婚に失敗しての再婚であった。結婚生活は妻妾同衾の愛憎すさまじいものであり、10年後、白蓮と雑誌編集者との不倫により破綻する。写真で見る白蓮は美貌である。大正三美人の一人と云われる。
川を下って、「直方炭鉱資料館」、「長崎街道木屋瀬宿記念館」を訪ねるが、どち
らも月曜日休館で万事休す。水量の少ない遠賀川の流れ、これで石炭が運べたの? 菜の花が美しい。
今夜のお宿は、萩の少し手前、長門・先崎の民宿「ひらめ亭」
(3.17 記)
千葉県柏市在住 河内のオッサン