仙崎は金子みすゞの街である。 みすゞは大正末期に彗星のごとく現れ、すぐれた
作品を発表するが、26才の若さで自ら死を選んだ童謡詩人、と偉そうなことを言う
が、この街で初めて知った。昨日、関門トンネルで下関に入り、「さあ、どうするか、山陽か山陰か?山陽は新幹線で素通りしたことがある。うまい魚も山陰の方が多いだろう! 萩に行こう!」、で車を走らせた。結局、萩に到着できず、手前の長門市で宿を探す。一階が料理屋、2、3、階が民宿、これならうまいものが食えるだろう
と飛び込んだのがJR仙崎駅前の「ひらめ亭」、大正解のヒラメづくし、朝食にまで焼物のヒラメが出てきた。ところで、朝、開館と同時に飛び込んだ「金子みすゞ記念館」、すっかり忘れてしまっていた”やさしい、やさしい、やさしい”童謡の世界があった。たまには、心の洗濯も良いものだ。
萩、大型バスを連ねてのおばさん達、春休みに入った大学生、欧米人の姿も見かける、が、中国からの観光客の姿が無い。 偶々なのか? 不便だからか? それとも、何らかの理由で旅行エージェントが萩を避けるのか。九州では観光案内に必ず、中国語、ハングルがあったが、それも無い。吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、久坂玄瑞、伊藤博文、、、、、これだけの逸材がよくも出たものだ。 もし、私が、幕末の激動期に生きていたら、何をしていたのだろう? 何が出来たのだろう?
ロマンは広がるが、たぶん、時代に流されただけ!
“松陰から鴎外へ”がキャッチコピーの「つわぶき街道」を津和野へ。駐車場のオッサンの無礼な態度と、醜く肥満した”メタボリック”鯉、に幻滅、早々に、晩飯を求めて車を発進させた。
今夜の泊は、道の駅「ゆうひパーク・浜田」での車中泊、いい陽気になってきたし、持参の寝袋を使ってあげよう!
(3.18 記)
千葉県柏市在住 河内のオッサン