吹屋、矢掛

2泊した叔母の家を辞し南へ下る。名峰・大山も初めて顔を出し見送ってくれる。 
急流が直線的に続く日野川に沿って遡り、悠々と流れる高梁川を下る。分水嶺近くのスキー場には多くの残雪が残っていた。

備中高梁の手前を左に折れ、車一台がやっとの悪路を通って吹屋の街並みを訪れる。

吹屋は江戸時代から明治にかけて銅鉱山の町として栄え、次いで「ベンガラ(弁柄)」と呼ばれる酸化鉄を主成分とする赤色顔料の生産が重なり天領として栄えた。
街道筋の町並みは、赤い石州瓦、腰高格子、袖壁、海鼠塀が美しく保存され往時をしのばせる。明治33~42年に造られた吹屋小学校は、使用されている木造校舎として日本最古、雰囲気がある。街道筋から少し離れた所に、石垣の組まれた高台に広兼邸と呼ばれる屋敷を見る。銅山とベンガラ経営で巨大な富を築き、徳川末期に主屋、楼門、石垣が造られた。映画「八つ墓村」のロケに使われたあの建物である。 吹屋、素人目には、3日前に見た世界遺産・石見銀山よりインパクトがある。

高梁川のいくつかの支流とトンネルを通って、矢掛町に到着、私の生まれ故郷である。父母、祖母の3人が、昭和22年3月、祖母の姉を頼って大連から矢掛町字西川面(かわも)に引き揚げてくる。私が生まれたのは3ヶ月後の6月、赤児の私が知ったこ
とではないが、頼る方、頼られる方、大パニックであったろう。父母はすぐに職を求めて大阪へ、私は5歳になるまで、ここで祖母に育てられた。 矢掛は参勤交代の時代、旧山陽道の宿場町として栄える、が、国鉄の山陽本線が、ここを通る計画だったものを、“環境が悪くなる!”と反対、完全に忘れられた町となり寂れてしまった。

  本陣、脇本陣と呼ばれる参勤交代の大名の宿舎が今も残る。
今日のお宿は、高梁川を見下ろす丘の上、厚生年金休暇センター“ウェルサンピア岡
山”朝飯付5,780円。

(3.21 記)

千葉県柏市在住 河内のオッサン

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