大原美術館、備中松山城、頼久寺、重森三玲、岡山後楽園

9時の開門を待って一番で大原美術館に入る。 一瞬でも”ギャラリーを独り占め”は気分がいい。何年ぶりだろう?ここを訪れるのは、大好きな美術館だ。エル・グレコの「受胎告知」がこんなに小さかったのか! 中村彝の「骸骨を持った自画像」の印象が、今回、最もも強烈だった。

昨日、生まれ故郷への郷愁が強すぎたのか、高梁市の頼久寺をすっ飛ばしてしまっ
た。何かというと、「ドンコと呼ぶハゼに似た魚をよく捕まえた小川の澱みはどうなったか?」、「ギンナンを拾った神社の銀杏の大樹はどうなったか?」、「蛇がよく出てきた溜池の石垣はどんなだったか?」をこの目で確かめること。 思いは無残に破られる-「暗渠と化していた」、「樹が代替わりしていた」、「コンクリートに変わっていた」。 高梁市を見下ろす重要文化財・備中松山城を訪ねる。現存する山城として随一の高さを誇っているだけに、登るのに大変なエネルギーを要す。 頼久寺・庭園は、日本のダヴィンチ・小堀遠州の若い頃の作庭である。蓬莱式枯山水の庭は、愛宕山を借景に、鶴島、亀島の石を組み、サツキの大刈込を波に見立てるすばらしいもので、国内外での評価が高い。

オバンスクラブ・オバン某のアドバイスを受け、近代の造園家の足跡を、高梁から30Kmほどのところに訪ねる。吉備中央町に造園家・重森三玲の記念館と天籟庵と号する茶室・茶庭がある。大学の「庭園デザイン学」の講義でも、重森三玲、小川治兵衛”植冶”の二人を近代造園のパイオニアであると教えられた。残念なことに、吉備中央町を訪れる観光客は少なく、資料も少ない。 天籟庵の庭も敷石のコンクリートが剥がれ、建仁寺垣、四つ目垣の麻紐は散逸、無残である。 庭好きの森鴎外が「庭園とは女性の化粧と同じ」と言ったとか、言い得て妙?- 怒らないでください! 私が云ったのではありません!

岡山・後楽園、日本三名園の一つ。岡山藩主・池田候の池泉回遊式大名庭園で、庭に関する記録、文書が数多く残ることから歴史的変遷を知ることが可能と。造営初期から芝生が使われているのが面白い。
今日の泊は、岡山駅前・ビジネスホテル。

(3.22 記)

千葉県柏市在住 河内のオッサン

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