雪の残る峠を越え、もう一度、鳥取県、智頭町に入る。智頭は、江戸時代、因幡と畿内を結ぶ街道の宿場町として、時代が下っても、良質な杉材を商いする林業の中心地として栄えた。街道筋には、江戸、明治、大正期に作られた多くの和風建築が残る。
中でも、塩屋を屋号とする石谷家の住宅は、江戸時代の庄屋、明治に入ってからの山林経営、農民金融、で財を成し、大正期に大規模な改築を行った建物である。自前の贅沢な材木を惜しげもなく使った梁組には目を見張る。屋敷の随所にさりげなく使われる桜、欅、桧、杉、赤松も樹齢ン百年を超える銘木ばかり。床、違い棚、書院窓、欄間、長押、すべてに超一流の職人の技が光る。庭園も、作庭者は不明ながら、池泉庭園、枯山水、芝生庭園からなり、それぞれが時代の変遷を見る者に感じさせる。近年まで、人が実際に住んでいた邸宅でありメンテナンスも良い。
身体を支えるのがやっと、台風並みの強風の中、山陰本線・余部鉄橋を列車が通るのを待つ。3時18分、3時40分、予定の列車が来ない。4時、諦めた! 明日、また来よう。余部鉄橋、通る列車がなくても美しい。
山陰の名湯・湯村温泉の老舗旅館で中学時代の恩師M先生が待っていてくれた。先生には中学一年の時、地理を教えてもらう。最初の授業、白衣に竹の棒、赤ら顔でハンサムな先生が現れ、小学生気分が抜けない我々に対し、ドスの効いた声で「オッサン、オバハン、、、、」、怖かった、が面倒見の良い先生だった。私が2年生の時、学校を辞め、以降、老舗旅館の経営にあたられる。 昨年、中学高校が同じのK先輩を介して45年ぶりにお会いし、今回の訪問になったものである。お酒が美味しい!
(3.23 記)
千葉県柏市在住 河内のオッサン